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2011.06.06 Monday

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2010.09.26 Sunday

部分と全体

自分社会人史上、もっとも始業時間の早い職場に勤めるようになったからか、
睡眠時間が減った気がする。
仕事の日は仕方がないので6時過ぎに起きるが、休日も8時くらいには起きてしまう。
求職中は、一応世間のリズムを取り入れて、
平日は一応8時くらいに起きて、週末は10時過ぎまで寝ていたな。

せっかく寝ていられるのにもったいない。
10時までは寝ていたい。


先日一緒に飲んだ、新職場の同い年の女子の話。
最初の2〜3年くらい? オファーされた仕事、リクエストはすべて受け入れ、がむしゃらに働いて、結果を出し、今はまったく違う部署・内容の仕事をしているのだが、それは、無我夢中に働いた先に掴んだ、これまで携わったあらゆる事柄の中で自分にもっとも合っていることで、誰にお伺いをたてる必要もなく自由に裁量できる立場、であるという。

彼女の、大変だった時期の具体的な大変さは知らないけれど、
その結果としての現在の自由な楽しさは、知っている。
とにかくどんなことでもがむしゃらに精一杯やり、結果を出せば、そういう場所に行けるのか。と思った。
それもそうだ。
会社としてのいろんな事情はあったとしても、根本的には、彼女の姿勢を誰かが見ていて、これだけやれる子ならば任せられる、と思ったんだろう。
結果を出す前から引け腰で、愚痴ってばかりで、あるかどうかもわからない能力を出し惜しみするような人間に、道は拓けないだろう。


話は変わって、最近読んだ池澤夏樹「スティルライフ」の中で、ピンと来た部分。
正確な引用ではないけど、

「部分についての真理ならば、すぐにわかる。部分的な真理だけで足りるのならば、道はすぐに見つかるし、生き易い。問題は、全体についての真理である。全体を見てから決めようとするから、自分のような宙ぶらりん人間が出来上がる。」

といったようなこと。
これを読んだとき、「自分のことだ」と思った。
まさに、そんなものがあるかもわからない、手がかりさえ掴めない「全体」を求め、それを見極めてからでないと何も始まらない気がするという、終わらない堂々巡り、猶予期間を漂う宙ぶらりん人間。
それは自分だ。

あるかどうかもわからない「全体」を求める気持ちと、
「部分」としての目の前にある生活、仕事、人間関係。
「部分」の方が、当面は明らかに現実であり、差し迫ったリアリティなのだ。それは重々承知。

というわけでちょっと路線を修正することにした。

あるかどうか、見つかるかどうかもわからない「全体」。
自分を包み込み、身を委ねられる価値、考え、理解を求めることはやめられない。
それを、地図も持たずに樹海や迷路に分け入るように、ふらふらと探しながらも、
同時に、目の前の現実としての「部分」を積み重ねながら、いつか「全体」的なるものがかたちづくられていく可能性も、見据えていこう。
その時々の直感、状況、流れにしたがって「部分」を蓄積していくこと。


そう思ったら、ちょっと光が差した気がした。
明日へのモチベーションも少し上がった。

何はともあれ、明日は仕事なのだ。
6時15分に起きて、7時半過ぎの電車に乗って、まだ慣れないあの職場に行くのだから。




2010.08.29 Sunday

ひと段落。

転職活動が、終了した。
今年の3月末で派遣の仕事が契約終了となってからの、5ヶ月に及ぶバケーションも終了。
バケーションといっても、楽しいことは特にしていないが。
収入のメドがないと、お金が遣えない。

GWまではなんとなくだらだらしてしまい、5月に転職者向けのセミナーなどに参加して、末頃からボチボチ応募を開始。
数えたら、実質3ヶ月間の活動で、エントリーしたのは15社だった。
書類が通ったのが7社、一次面接通ったのが4社、二次面接通ったのが2社、内定1社。

不景気、完全なる買い手市場を肌で実感した。
仕事を始めたらそれはそれで大変だろうけど、転職活動の苦労は本当に独特。
個人差もあるだろうけど、自分の場合は、世の中のあらゆる仕事をしている人に対する劣等感、家族に対する後ろめたさとプレッシャー、自分の先行きに対する漠然としたブラックホールのような不安感、期待してはそれが裏切られたときの心の振れ幅、書類や面接で落とされたときの精神的な傷つき、等々が常に同時にあって、
全体として波はあっても、やっぱり心がスッキリと晴れることはない。

転職活動中の実感としては、
正直、仕事してるよりよっぽどキツイ。 というのは、同じ境遇の人すべてに共感してもらえるんじゃなかろうか。


転職活動をしている人が身近にいたら、何も言わずに、「うまくいくことを願ってるよ」という気持ちで見守ってあげるのが一番いいと思う。
私は家族にそうしてもらっていたので、助かった。
でも、やっぱり両親などは相当気を揉んでいたのはわかっていたから、家族に報告できたときが一番嬉しかった。


ということで、来週、9月1日から仕事始め。
環境のあらさがしなどせず、謙虚に、すべてを受け入れるスタンスで、波に乗りたゆたうように、日々を過ごしていきたい。
そして、働く楽しさをちょっとでも感じられたら幸せに思う。



2010.08.17 Tuesday

打率

今回のなかなか厳しい転職活動状況。


5月末からの応募件数、15社。
少ない。
セミナーでは毎日1社以上出せと言われたけど、実際にはこんなもの。

うち、書類通過7社。
書類選考中1社。
やっぱり後半に入って、通過率は上がった実感あり。
書類作成の効率も上がったと思う。

で、一次面接通過3/7社。

で、今週と来週に2社、二次面接。


ここらで決めたい。
2010.08.06 Friday

会話がヘタクソな家族

最近、小説といえば池澤夏樹作品ばっかり読んでいる。
一年くらい前に「花を運ぶ妹」を手にとってから、図書館に行ったときに見つけたものから順不同に。
今は「光の指で触れよ」を読んでからの、「すばらしい新世界」。この2作は繋がっていることを「光の指で触れよ」の途中で知ったので、順序が逆になったけど、それもまた良し。
池澤夏樹の小説は、要所要所にとても共感できる。
自分の言葉ではしっくり語れなかった考えが、かなり的確に描写されていると思えるところが少なくない。
そういうときは忘れないようにメモする。感銘を受けたはずの小説や映画でも、どんどん忘れてしまうので。

「光の指」「すばらしい」では、環境や自然、エネルギーのこと、日本の社会のこと、それを踏まえた人間の暮らし方が大きなテーマになっているのだが、その点についても大いに考えさせられると同時に、印象に残るのは作品に登場する家族の関係。(「光の指」では、家族のあり方、人と暮らすということ自体も、主要なテーマのひとつ。)
たまたま生まれ、育った家、そこにいるメンバーを家族と呼ぶ。狭義では。
夫婦と、子ども。このパッケージで1核家族。


小説に登場する彼らの関係性や、会話の内容。
いくつかの家族が出てくるけど、私から見るといずれも彼らの関係はチーム的。
血縁という大前提を踏まえながらも、あくまでも個々人として独立し、それが徹底しているからこそ、お互いの考えや言葉のやりとりは密度が濃く、真剣。
関係性に対して意識が高く、手を抜かない。
だから、互いに対する理解も深まる。

それで、近頃自分の家族関係について考えることが多くなってる。
考え始めると堂々巡りで寝つきも悪くなる。


※まず大前提として、安全な住環境と十分な栄養と大学までの教育を授けてくれた自分の両親に対して、私は絶対的に感謝している。
大切に育てられたし、今でも経済的に頼っていて、頭が上がらない。私は甘えてる。
しかも、客観的に見てうちは平和。深刻な問題を抱えているわけでもなく、殺伐とした冷戦状態でもないし、激しい大喧嘩をするわけでもない。
だからこれから述べることは、家族内における、自分の主観的な風景。
親にこの考えをそのままのかたちで伝えることは一生無いと思うから、代わりに吐露するまでのこと。
贅沢な愚痴。


コミュニケーションについて。

よその家のことはわからないけど、思えば、うちでは事務的な会話や定型的なやりとり以外の会話が圧倒的に少ない家族だった気がする。
出来事ベースではもちろん話をする。これおいしいね、こんなことがあった、あれが欲しい、テレビの内容についてなどなど。特に小さい頃は、それだけで一日中でもしゃべっていられた。

でも、抽象的なテーマでは会話にならない。
お互いの考えや、感じてることを深くじっくりと話し合うということがなかった。
両親の人生の詳しい経緯やものの考え方、影響を受けた人や出来事、昔抱いていた将来の夢とか、価値観について、具体的に聞いた記憶がない。
もちろん2人のなれ初めも聞いたことがない。
小中学校、高校、大学のとき、何を考え、何を読み、将来どうしたいと思ってたか。
両親との関係はどうだったのか。どんな友人がいたか。
進路についてどう考えていたか。
私の進学のタイミングなんかにおいても、「自分のときはね〜」という話をしてくれたこともない。
(もしそういえば、「聞かなかったじゃないか」と言うだろうけど、それはちょっと違うと思う)

同様に、昔から、親は私にあまり訊ねない。
今何を考えているか、このことについてどう思うか、これについてどうしたいのか。
最近学校はどう? ということさえ。
学校生活に問題があったとしても、子供は親にそういう話はしづらい。
「別に・・・」とそっけなく私が会話を終わらせようとすれば、「あそう」で終了。
「問題なし」という言質を取れれば良かったのかなと思う。
当時は自分にとっても、そういうお約束的なやりとりの方が楽で都合が良かったんだろうとも思う。

もちろん、物事を決める際に、了解を取るという手続きは踏む。
転校を伴う転勤とか。
でもそれは、予め結論はひとつしかなくて、そのためのコンセンサスをとる手続きでしかなかった。

思春期の頃、父親は帰ってくるとよく部屋を覗いて、「どうだ?」とか「元気でやってるか?」
とでかい声で聞く。
当時父親が大嫌いだった私は、できるだけ早く行って欲しかったから、なんとか堪えて「うん」と答えればいい。
このやりとりが、「問題なし」の手続きだったんだろう。
そのようにして、思春期以降、私は父親と「話す」時間が本当に無くなってしまった。
今に至るまで私と父親との会話は基本的にこの域を脱してない。

それでもまだ高校くらいまでは、日常的に確認事項や連絡事項があるから、一緒に暮らしてる限り特に母親との会話は繋がる。
だけど大学生になり、また社会人になってからは、日常的な連絡事項は少なくなり、そもそも一緒に過ごす時間が激減し、必要な会話はどんどん減る。
「必要な会話」に辛うじて加わることもあった「余分な会話」はいよいよ減る。
話すこと自体が億劫になる。
そうして、その果てに、挨拶すらまともにしなくなる状況が生まれる。
誕生日をきちんと改まって祝う習慣が消えたのはいつだっただろうか。

コミュニケーションの在り方は、双方に要因がある。
今になれば、「話してくれなかった、訊ねてくれなかった」と私は勝手に思うけど、
当時の私はそれを好都合と考える部分も確かにあった。


このような経緯の果てに、
今もって、私は両親(特に父親)と、日常生活や事務連絡以外の共通の話題がほとんどない。
必要が無い会話が続かない。
それも当然、と最近わかった。ずっとこうだったんだから。
互いの、互いに関する知識が圧倒的に不足しているのだ。
この人生における、父親との会話量を示したグラフでもあれば、きっと愕然とするだろう。
高校生や大学生の頃、父親に「オマエは何を考えているのかわからない」と言われると、ひどく理不尽に感じたものだった。「こっちだってアンタが何を考えてるのか知らないよ!」と心の中で叫びをあげていたが、それを絶対に口に出せない。喉に膜が張ったみたいに、声が出なくなる。
特に父親に対して自分の思いを冷静に、理論立てて話すことが出来ない自分に気付いたのは、いつだったか。だいぶ昔からのことだと思う。

大人になったからって突然関係が変わるわけがない。
気がつけばコミュニケーションが乏しい家族になっていたなんてことじゃなく、
なるべくしてこうなった。
会話のヘタクソな家族。


この年になっても、というか、この年になったからなのか、「これはこういうことだったんじゃないか」というふうに見えてくるものがあるのだと思う。あくまでも自分の主観だけど、それ以外にはない。

家族のスタイル、雰囲気をつくる一番大きな要素は、創立者である夫婦の性格と方針であることは間違いない。
自分の両親の、家庭運営における方針がどんなものだったのか、そもそも共通の指針があったのかどうか、今になっても私にはわからない。たぶん明確な共通の認識は設定されてなかったと思う。
ただ、漠然とした暗黙の了解として、だんだんに固まっていたある種の空気は、2人の支配下にある子どもである自分には、皮膚感覚として浸透した。
それはどんなものだったのかなあと整理すると、一言で言えば、
「絶対的な楽観主義に基づく、放任と抑圧の微妙なバランス」
といったところ。

子供は子供らしく無垢で従順に、世間の「普通」枠内において育てばよし。
普通の学校、普通の成績(良いに越したことはない)、普通に就職(できるだけステータスの高い会社ならなおよし)。
そして、時期が来たら結婚して子供を生む。
「問題なし」の日々の果てには、自然にそういうことになる。
以上。

そしてそれは、おそらく両親にとっても無自覚なものだったと思う。
家の中にあったその雰囲気そのものを言語化するのは難しい。
あくまでも自分が肌で感じていた感覚であり、自分の中でもずっとそれを言葉ではなく、温度や色、体の反応といったもので認識していた。
妹たちにとっては、またちょっと違うだろうし。
同様に、皮膚感覚として浸透したというその浸透度合いも、子どもの性格による。
例えば、長女の私にはかなりしっかりと染み渡り、人間形成においても甚大な影響を与えられたと思ってる。
けれど真ん中の妹は、いい意味で鈍感で残酷なところがあり、親の影響からは一番自由だった。
そして一番下の妹は、私から見ると、無自覚に、かなり深部まで浸透している。
私は、この親は子供には恋愛とか結婚とかして欲しくないんだろうなー。ずっと子供のまま、一緒に居て欲しいと思ってんだろうなと思っていた。
ところが、世に言う適齢期を迎えたころ、「ちゃんといつかは結婚して欲しい」といわれたときには、
正直、「話が違くない?」と思った。「だったら最初からそう言っておいてよ〜」と。


うちの両親は、子供に対しては潜在的に楽観的であったと同時に、「一般的な規範内の通過儀礼をクリアすること」以外にビジョンが無かったんだろうなと思う。それも、かなりご都合主義的に。
それは、普通に育てていれば自然に達成できるものであると、信じていた。
いわゆる情操教育とか、才能を見出しそれを伸ばすとか、ユニークなところを面白がるとか、そういうセンスは持っていなかったし、目に入らなかった。
むしろ、何か特定のモノに打ち込みすぎて「規範」から逸脱することのほうを嫌がっていたんじゃないだろうか。

少なくとも、子どもの私はそういう感じ方をしていたな。



結局。

さすがに、自分の現状における不満を、家族のコミュニケーションのあり方だとか曖昧なようでいて絶対的に染み渡っていた無言の抑圧に還元する気はない。
第一、そんなこといえた義理じゃない。
このループにはまったときは、でも彼らは私をしっかりと大切に育ててくれた、と我に返ってリセットすることができる自分は恵まれている。


それでもいまだに昔のことを穿り返し混ぜっ返し、一人で勝手にぐるぐるしているのは、思っていてもいえなかったことが長年溜まりすぎてるからだろうか。

子ども時代、思春期のとき、ターニングポイントごとに、刺激やヒントを与えてくれなかった。
他の子より得意なこと、上手く出来ることがあっても、それを褒めて伸ばそうとはしてくれなかった。
等々の恨み言をぶちまけ、
そして、たった一回でもいいから、「そうだったね。悪かったね」と言って欲しいのか。


それもあるかも。でも、それは本質的な解決にはならない。
記憶も感じ方もすべては自分だけの主観の風景であるから、他者である親から見えるものに対して「悪かったね」と言われても、多分自分自身、本当には納得できない。
そして、アラ還の両親が、私の考えに同調できる柔軟さを持ちえていないことはよく知ってるし、受け入れるだけのキャパシティも無いと思う。
親は、私がこんなふうにたまにぐるぐる考えていることなんか知らないだろうし、知りたくもないだろう。
親の方でも過去の子育てについて、思うところはあるかもしれないし、それを知る由はない。
第一、「人の考えを変えることはできない。思いを強制することはできない」ということについては、自分の中での決定事項。
私が思う、うちの家族についての考え、思うところを、他ならぬ両親にわかってもらうことは絶対にないんだなと思うと、気が遠くなるほどの寂しさも感じるけど、
それ以上に、こだわるあまりに、一緒に過ごすことのできる残り少ない時間に摩擦を生み出したくない。


つまり、
できることは、自分自身が「水に流す」ことだけ。

そして、もはや取り返しのつかない昔に対する考えにこだわったりするのは、まず第一には、ヒマだからということがある。
物理的にも、精神的にもヒマすぎて、昔のことを穿り返しているにすぎない。


水に流して、やることを持つ。


シンプル。





2010.07.05 Monday

2010年第二四半期(4月〜6月)の記録

なんと、もう折り返し。
まだ就職活動中なため、派手に遊ぶこともできず地味な日々の記録。
就職決まったら、トレッキングシューズ買う!!
そして高尾山とか、奥多摩とか、尾瀬とか行きたい。あと、上高地の奥の方、柄沢とかな。
あと、見たい海外ドラマのDVDを借りまくる。
LOSTもシーズン5の2枚目までで止まってるし。

てか、早く仕事がしたい。

就職活動は、ある意味仕事してるより疲れる。

これが、今回の転職活動にて見出した真理。




2010年第二四半期(4月〜6月)の記録


映画>
「ウディ・アレンの夢と犯罪」
「マイレージ・マイライフ」
「息もできない」
「アリス・イン・ワンダーランド」
「のだめ後編」
「プレシャス」
「オーケストラ!」
「SATC2」
「告白」

観劇>
ナシ

ライブ>
スペースシャワーTVのイベント@日比谷野外音楽堂
(サニーデイ・サービス、トクマルシューゴ、二階堂和美)
トクマルシューゴ@松本ALECX

鑑賞>
ルーシー・リー展@国立新美術館

旅行>
谷川岳@日帰り
鹿嶋@1泊2日
山形さくらんぼ狩り@日帰り(蔵王のお釜、上山市)



今日もこれから選考試験。

何度落ちても、落ちると傷つく。それがまたイヤ。


2010.04.02 Friday

2010年 第一四半期 メモ

2010年第一四半期(1月〜3月)の記録


映画>
「アバター」
「かいじゅうたちのいるところ」
「(500)日のサマー」
「人間失格」
「ニューヨークアイラブユー」
「NINE」
「シャーロック・ホームズ」

観劇>
チェルフィッチュ「私たちは無傷な別人であるのか?」
歌舞伎座さよなら公演 御名残三月大歌舞伎

鑑賞>
ウィリアム・ケントリッジ@東京国立近代美術館
国宝土偶展@東京国立博物館
長谷川等伯展@東京国立博物館

旅行>
那覇@2泊3日(ひめゆりの塔、ガンガラーの谷、セイファーウタキ、読谷村 など)


2009.12.31 Thursday

窓を拭く

今年の大晦日は、妹と2人で静かなもの。
年の瀬らしい緊張感もゼロ。
妹はリビングで溜まりまくった録画を消化中・・・朝からずっと「相棒」祭り。
おせちもお屠蘇もナシの、いつものだらけた週末気分。


掃除掃除と毎日唱えていたわりに、ほとんど手付かずのまま大晦日。
せめてもと、自分の部屋の窓と鏡だけ、拭いた。
きれいになった窓の外は正月らしい青空。


今年も特にドラマチックな出来事はなかったなー。よく遊んだような気はするが。

と、自嘲気味になるのではなく、

今年も健康に平穏に生きられたことに感謝して、
今日も昨日と何も変わらないことを有難く思おう。



世界はゼロ年代終わり、10年代。
私は、30代のステージ・・・というほど大袈裟なものでもなく、まあただ人生は続いてく。





2009.12.29 Tuesday

みそじ

というわけで、満30歳。
晴れ。
オールで飲んで明方帰って朝焼けを見てからちょっと寝て起きてお風呂に入って、
体重50.5kg。体脂肪率27%。


30歳。
三十路。
thirty.
前厄。


ほとんど1年前から30歳の気分になって心の準備をしてたので、軽く越えた午前0時は、まさかのカラオケ屋にいた。
楽しい友人に、誕生日的な歌を熱唱してもらって。

全然、人生これから。


三十路のテーマは、「心身の美と健康」。

真面目に自分を大事にし、磨き、あきらめないで(by オノ・ヨーコ)、フットワーク軽く暮らしたい。



とりあえず年明けは大事な就職試験!!!
あきらめないで(by オノ・ヨーコ)、真剣に準備する。この年末年始。



このブログ、満30歳になったら消すとか思ったけど、
まあなんとなく細々と生かしておこ。



2009.12.19 Saturday

シンクロ

今年の最後の燃えるゴミは、来週の木曜日(クリスマスイブ)。
でもその日は不在なので、その前の燃えるゴミの日である21日が個人的リミット。

その日までに、いろんなものを整理して捨てるものをゴミ袋にまとめなければならない。
派遣の契約が昨日で終わり、早くも仕事納めとなったということで、
20歳から書き溜めてきたノートの読み直しを再開。読んだら捨てるために。

今2冊目、21歳の自分と向き合ってみて。


三十路を目前とした今の自分と、なぜこんなにシンクロする??



悩んでることも、状況も、今まさに陥っているこの気分の谷間も、悉くダブる。
基本、一緒。なんにも変わってない。
二アリーサーティーの自分と、トウェンティワンの自分が。





いやあー・・・・気持ち悪いとか自己嫌悪とかもう通り越して、苦笑するしかないと思った。

実際、笑ってしまった。


本っとうにしょうもない。
21歳の頃、30歳になるころにはいろんなことを通り抜け、学び、理解し、結構なおとなになっているものだと何の疑いもなく思っているところにもまた。
そんな簡単じゃないんだよー人間が(というか私というこの人間が)成長するっていうのは!
と、自分に突っ込みを入れた。

残念ながら、本当にたいした進歩はなかった。
いや、そんな自分を「しょうもない」と受け入れられるくらいには、成長したともいえるが。



2009.12.18 Friday

閃いた

閃いたっていうほどのアレでもないんだが。

最近、家族とあんまりうまくいかない。
特に、妹としっくりしない。
お互いに譲らないし、この先もずっと平行線のままで、
たとえ今回のほとぼりが冷めたとしても、またすぐに同じことを繰り返す。
そしてお互いに大人になれない自分に自己嫌悪し、卑屈になったりして、結局優しくはなれない・・・
というダメループに嵌ることは目に見えてる。

三十路目前にして、思春期の姉妹げんかを未だにやってるわけなのだが。


もう、そんなことにぐだぐだしてる時間はもったいない!!!

とさっき気付いた。


直そうとか、根本的に改善しようとか、するのやめたらいいんだと。
だってそんなの不毛な努力だから。
お互いもういいトシで、人間が出来上がっていて、相手を変えることができないのと同じように、自分自身も変われない。
それならば、いっそ距離をおいて、他人同士として礼節をもって付き合う関係を構築しなおしたほうが早いし、表面的にずっと平穏だし、お互いの人生も前に進むんでは!
と、至極単純明快な結論に至った。

前から一人暮らし願望はずっとあったけど、
「今ここで家族と向き合うことから逃げたら、この先もうリカバリーするチャンスはない。そんなことしたら一生後悔するし、家族とさえまともなコミュニケーション取れないんじゃ、赤の他人となんて関係を築けない」
って自分を戒めて、打ち消してきた。
もちろん経済的な問題もあるし。

でも、
根本的にすっきりと関係を改善する可能性がまったくのゼロでないとして、そのいつかのために、これからもずっと長い時間、ギスギスした時間を過ごすのか?
それによって腹を立て、傷つけあいながら?
それが本当に、この家族にとって最善の策なのか?
腹を立て、傷つけあって、ロクな会話さえなくっても、それでも一緒の家に住むことが重要なのか???


・・・いやーそうじゃないでしょう。


離れて暮らし、お互いにコンディションのいいときにだけ会う。
どちらかの家で会うときは、どちらかはゲスト。
それだけで、まず、一番の火種となる「家事分担争い」が消える。
しかも、礼節を保てる。
そして、久々に会うということは、話題のストックがある。
互いの近況報告で、会話はもつ。
あまり関係のうまくいってない姉妹から、たまにあう従姉妹同士くらいの穏やかな関係になって、うまくすれば、離れて暮らす普通の姉妹、までいけると思う。


家族間の関係改善に、一番手っ取り早いのはもうこれしかない。


あとは、まあ、自分自身の人生にとっても、このタイミングで一度自分を追い込んでみるっていうのはありかと思う。
経済的にも生活上でも文字通りの自立、いつまでもフラフラできない状況をつくる。
それでもって、契約更新までの2年の間に結婚相手を見つける、とか。→親への理由としては一番説得力がある。

一石三鳥狙いで。
年明けは物件探しかなあ。


2010のテーマは、
心身の美と健康、自立、婚活。 

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