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2011.06.06 Monday

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2010.08.06 Friday

会話がヘタクソな家族

最近、小説といえば池澤夏樹作品ばっかり読んでいる。
一年くらい前に「花を運ぶ妹」を手にとってから、図書館に行ったときに見つけたものから順不同に。
今は「光の指で触れよ」を読んでからの、「すばらしい新世界」。この2作は繋がっていることを「光の指で触れよ」の途中で知ったので、順序が逆になったけど、それもまた良し。
池澤夏樹の小説は、要所要所にとても共感できる。
自分の言葉ではしっくり語れなかった考えが、かなり的確に描写されていると思えるところが少なくない。
そういうときは忘れないようにメモする。感銘を受けたはずの小説や映画でも、どんどん忘れてしまうので。

「光の指」「すばらしい」では、環境や自然、エネルギーのこと、日本の社会のこと、それを踏まえた人間の暮らし方が大きなテーマになっているのだが、その点についても大いに考えさせられると同時に、印象に残るのは作品に登場する家族の関係。(「光の指」では、家族のあり方、人と暮らすということ自体も、主要なテーマのひとつ。)
たまたま生まれ、育った家、そこにいるメンバーを家族と呼ぶ。狭義では。
夫婦と、子ども。このパッケージで1核家族。


小説に登場する彼らの関係性や、会話の内容。
いくつかの家族が出てくるけど、私から見るといずれも彼らの関係はチーム的。
血縁という大前提を踏まえながらも、あくまでも個々人として独立し、それが徹底しているからこそ、お互いの考えや言葉のやりとりは密度が濃く、真剣。
関係性に対して意識が高く、手を抜かない。
だから、互いに対する理解も深まる。

それで、近頃自分の家族関係について考えることが多くなってる。
考え始めると堂々巡りで寝つきも悪くなる。


※まず大前提として、安全な住環境と十分な栄養と大学までの教育を授けてくれた自分の両親に対して、私は絶対的に感謝している。
大切に育てられたし、今でも経済的に頼っていて、頭が上がらない。私は甘えてる。
しかも、客観的に見てうちは平和。深刻な問題を抱えているわけでもなく、殺伐とした冷戦状態でもないし、激しい大喧嘩をするわけでもない。
だからこれから述べることは、家族内における、自分の主観的な風景。
親にこの考えをそのままのかたちで伝えることは一生無いと思うから、代わりに吐露するまでのこと。
贅沢な愚痴。


コミュニケーションについて。

よその家のことはわからないけど、思えば、うちでは事務的な会話や定型的なやりとり以外の会話が圧倒的に少ない家族だった気がする。
出来事ベースではもちろん話をする。これおいしいね、こんなことがあった、あれが欲しい、テレビの内容についてなどなど。特に小さい頃は、それだけで一日中でもしゃべっていられた。

でも、抽象的なテーマでは会話にならない。
お互いの考えや、感じてることを深くじっくりと話し合うということがなかった。
両親の人生の詳しい経緯やものの考え方、影響を受けた人や出来事、昔抱いていた将来の夢とか、価値観について、具体的に聞いた記憶がない。
もちろん2人のなれ初めも聞いたことがない。
小中学校、高校、大学のとき、何を考え、何を読み、将来どうしたいと思ってたか。
両親との関係はどうだったのか。どんな友人がいたか。
進路についてどう考えていたか。
私の進学のタイミングなんかにおいても、「自分のときはね〜」という話をしてくれたこともない。
(もしそういえば、「聞かなかったじゃないか」と言うだろうけど、それはちょっと違うと思う)

同様に、昔から、親は私にあまり訊ねない。
今何を考えているか、このことについてどう思うか、これについてどうしたいのか。
最近学校はどう? ということさえ。
学校生活に問題があったとしても、子供は親にそういう話はしづらい。
「別に・・・」とそっけなく私が会話を終わらせようとすれば、「あそう」で終了。
「問題なし」という言質を取れれば良かったのかなと思う。
当時は自分にとっても、そういうお約束的なやりとりの方が楽で都合が良かったんだろうとも思う。

もちろん、物事を決める際に、了解を取るという手続きは踏む。
転校を伴う転勤とか。
でもそれは、予め結論はひとつしかなくて、そのためのコンセンサスをとる手続きでしかなかった。

思春期の頃、父親は帰ってくるとよく部屋を覗いて、「どうだ?」とか「元気でやってるか?」
とでかい声で聞く。
当時父親が大嫌いだった私は、できるだけ早く行って欲しかったから、なんとか堪えて「うん」と答えればいい。
このやりとりが、「問題なし」の手続きだったんだろう。
そのようにして、思春期以降、私は父親と「話す」時間が本当に無くなってしまった。
今に至るまで私と父親との会話は基本的にこの域を脱してない。

それでもまだ高校くらいまでは、日常的に確認事項や連絡事項があるから、一緒に暮らしてる限り特に母親との会話は繋がる。
だけど大学生になり、また社会人になってからは、日常的な連絡事項は少なくなり、そもそも一緒に過ごす時間が激減し、必要な会話はどんどん減る。
「必要な会話」に辛うじて加わることもあった「余分な会話」はいよいよ減る。
話すこと自体が億劫になる。
そうして、その果てに、挨拶すらまともにしなくなる状況が生まれる。
誕生日をきちんと改まって祝う習慣が消えたのはいつだっただろうか。

コミュニケーションの在り方は、双方に要因がある。
今になれば、「話してくれなかった、訊ねてくれなかった」と私は勝手に思うけど、
当時の私はそれを好都合と考える部分も確かにあった。


このような経緯の果てに、
今もって、私は両親(特に父親)と、日常生活や事務連絡以外の共通の話題がほとんどない。
必要が無い会話が続かない。
それも当然、と最近わかった。ずっとこうだったんだから。
互いの、互いに関する知識が圧倒的に不足しているのだ。
この人生における、父親との会話量を示したグラフでもあれば、きっと愕然とするだろう。
高校生や大学生の頃、父親に「オマエは何を考えているのかわからない」と言われると、ひどく理不尽に感じたものだった。「こっちだってアンタが何を考えてるのか知らないよ!」と心の中で叫びをあげていたが、それを絶対に口に出せない。喉に膜が張ったみたいに、声が出なくなる。
特に父親に対して自分の思いを冷静に、理論立てて話すことが出来ない自分に気付いたのは、いつだったか。だいぶ昔からのことだと思う。

大人になったからって突然関係が変わるわけがない。
気がつけばコミュニケーションが乏しい家族になっていたなんてことじゃなく、
なるべくしてこうなった。
会話のヘタクソな家族。


この年になっても、というか、この年になったからなのか、「これはこういうことだったんじゃないか」というふうに見えてくるものがあるのだと思う。あくまでも自分の主観だけど、それ以外にはない。

家族のスタイル、雰囲気をつくる一番大きな要素は、創立者である夫婦の性格と方針であることは間違いない。
自分の両親の、家庭運営における方針がどんなものだったのか、そもそも共通の指針があったのかどうか、今になっても私にはわからない。たぶん明確な共通の認識は設定されてなかったと思う。
ただ、漠然とした暗黙の了解として、だんだんに固まっていたある種の空気は、2人の支配下にある子どもである自分には、皮膚感覚として浸透した。
それはどんなものだったのかなあと整理すると、一言で言えば、
「絶対的な楽観主義に基づく、放任と抑圧の微妙なバランス」
といったところ。

子供は子供らしく無垢で従順に、世間の「普通」枠内において育てばよし。
普通の学校、普通の成績(良いに越したことはない)、普通に就職(できるだけステータスの高い会社ならなおよし)。
そして、時期が来たら結婚して子供を生む。
「問題なし」の日々の果てには、自然にそういうことになる。
以上。

そしてそれは、おそらく両親にとっても無自覚なものだったと思う。
家の中にあったその雰囲気そのものを言語化するのは難しい。
あくまでも自分が肌で感じていた感覚であり、自分の中でもずっとそれを言葉ではなく、温度や色、体の反応といったもので認識していた。
妹たちにとっては、またちょっと違うだろうし。
同様に、皮膚感覚として浸透したというその浸透度合いも、子どもの性格による。
例えば、長女の私にはかなりしっかりと染み渡り、人間形成においても甚大な影響を与えられたと思ってる。
けれど真ん中の妹は、いい意味で鈍感で残酷なところがあり、親の影響からは一番自由だった。
そして一番下の妹は、私から見ると、無自覚に、かなり深部まで浸透している。
私は、この親は子供には恋愛とか結婚とかして欲しくないんだろうなー。ずっと子供のまま、一緒に居て欲しいと思ってんだろうなと思っていた。
ところが、世に言う適齢期を迎えたころ、「ちゃんといつかは結婚して欲しい」といわれたときには、
正直、「話が違くない?」と思った。「だったら最初からそう言っておいてよ〜」と。


うちの両親は、子供に対しては潜在的に楽観的であったと同時に、「一般的な規範内の通過儀礼をクリアすること」以外にビジョンが無かったんだろうなと思う。それも、かなりご都合主義的に。
それは、普通に育てていれば自然に達成できるものであると、信じていた。
いわゆる情操教育とか、才能を見出しそれを伸ばすとか、ユニークなところを面白がるとか、そういうセンスは持っていなかったし、目に入らなかった。
むしろ、何か特定のモノに打ち込みすぎて「規範」から逸脱することのほうを嫌がっていたんじゃないだろうか。

少なくとも、子どもの私はそういう感じ方をしていたな。



結局。

さすがに、自分の現状における不満を、家族のコミュニケーションのあり方だとか曖昧なようでいて絶対的に染み渡っていた無言の抑圧に還元する気はない。
第一、そんなこといえた義理じゃない。
このループにはまったときは、でも彼らは私をしっかりと大切に育ててくれた、と我に返ってリセットすることができる自分は恵まれている。


それでもいまだに昔のことを穿り返し混ぜっ返し、一人で勝手にぐるぐるしているのは、思っていてもいえなかったことが長年溜まりすぎてるからだろうか。

子ども時代、思春期のとき、ターニングポイントごとに、刺激やヒントを与えてくれなかった。
他の子より得意なこと、上手く出来ることがあっても、それを褒めて伸ばそうとはしてくれなかった。
等々の恨み言をぶちまけ、
そして、たった一回でもいいから、「そうだったね。悪かったね」と言って欲しいのか。


それもあるかも。でも、それは本質的な解決にはならない。
記憶も感じ方もすべては自分だけの主観の風景であるから、他者である親から見えるものに対して「悪かったね」と言われても、多分自分自身、本当には納得できない。
そして、アラ還の両親が、私の考えに同調できる柔軟さを持ちえていないことはよく知ってるし、受け入れるだけのキャパシティも無いと思う。
親は、私がこんなふうにたまにぐるぐる考えていることなんか知らないだろうし、知りたくもないだろう。
親の方でも過去の子育てについて、思うところはあるかもしれないし、それを知る由はない。
第一、「人の考えを変えることはできない。思いを強制することはできない」ということについては、自分の中での決定事項。
私が思う、うちの家族についての考え、思うところを、他ならぬ両親にわかってもらうことは絶対にないんだなと思うと、気が遠くなるほどの寂しさも感じるけど、
それ以上に、こだわるあまりに、一緒に過ごすことのできる残り少ない時間に摩擦を生み出したくない。


つまり、
できることは、自分自身が「水に流す」ことだけ。

そして、もはや取り返しのつかない昔に対する考えにこだわったりするのは、まず第一には、ヒマだからということがある。
物理的にも、精神的にもヒマすぎて、昔のことを穿り返しているにすぎない。


水に流して、やることを持つ。


シンプル。





2011.06.06 Monday

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