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2011.06.06 Monday

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2010.09.26 Sunday

部分と全体

自分社会人史上、もっとも始業時間の早い職場に勤めるようになったからか、
睡眠時間が減った気がする。
仕事の日は仕方がないので6時過ぎに起きるが、休日も8時くらいには起きてしまう。
求職中は、一応世間のリズムを取り入れて、
平日は一応8時くらいに起きて、週末は10時過ぎまで寝ていたな。

せっかく寝ていられるのにもったいない。
10時までは寝ていたい。


先日一緒に飲んだ、新職場の同い年の女子の話。
最初の2〜3年くらい? オファーされた仕事、リクエストはすべて受け入れ、がむしゃらに働いて、結果を出し、今はまったく違う部署・内容の仕事をしているのだが、それは、無我夢中に働いた先に掴んだ、これまで携わったあらゆる事柄の中で自分にもっとも合っていることで、誰にお伺いをたてる必要もなく自由に裁量できる立場、であるという。

彼女の、大変だった時期の具体的な大変さは知らないけれど、
その結果としての現在の自由な楽しさは、知っている。
とにかくどんなことでもがむしゃらに精一杯やり、結果を出せば、そういう場所に行けるのか。と思った。
それもそうだ。
会社としてのいろんな事情はあったとしても、根本的には、彼女の姿勢を誰かが見ていて、これだけやれる子ならば任せられる、と思ったんだろう。
結果を出す前から引け腰で、愚痴ってばかりで、あるかどうかもわからない能力を出し惜しみするような人間に、道は拓けないだろう。


話は変わって、最近読んだ池澤夏樹「スティルライフ」の中で、ピンと来た部分。
正確な引用ではないけど、

「部分についての真理ならば、すぐにわかる。部分的な真理だけで足りるのならば、道はすぐに見つかるし、生き易い。問題は、全体についての真理である。全体を見てから決めようとするから、自分のような宙ぶらりん人間が出来上がる。」

といったようなこと。
これを読んだとき、「自分のことだ」と思った。
まさに、そんなものがあるかもわからない、手がかりさえ掴めない「全体」を求め、それを見極めてからでないと何も始まらない気がするという、終わらない堂々巡り、猶予期間を漂う宙ぶらりん人間。
それは自分だ。

あるかどうかもわからない「全体」を求める気持ちと、
「部分」としての目の前にある生活、仕事、人間関係。
「部分」の方が、当面は明らかに現実であり、差し迫ったリアリティなのだ。それは重々承知。

というわけでちょっと路線を修正することにした。

あるかどうか、見つかるかどうかもわからない「全体」。
自分を包み込み、身を委ねられる価値、考え、理解を求めることはやめられない。
それを、地図も持たずに樹海や迷路に分け入るように、ふらふらと探しながらも、
同時に、目の前の現実としての「部分」を積み重ねながら、いつか「全体」的なるものがかたちづくられていく可能性も、見据えていこう。
その時々の直感、状況、流れにしたがって「部分」を蓄積していくこと。


そう思ったら、ちょっと光が差した気がした。
明日へのモチベーションも少し上がった。

何はともあれ、明日は仕事なのだ。
6時15分に起きて、7時半過ぎの電車に乗って、まだ慣れないあの職場に行くのだから。




2011.06.06 Monday

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